メニューにもどる
Vol.34
三度目の、氷の城へ。
弱法師独り、無人大陸を行く。
岩手山焼走り滑降 2038.2m 岩手県滝沢村・雫石町・八幡平市
「世界の空は、25日を境に<夏>になる」という新聞記事を見た。冬のジェット気流が徐々に弱まり、コースが北に移動する節目として3月のその日、国際線のダイヤが夏用に切り替わるという。明日は26日、予報には晴れマークが並んだ。15年ぶりの焼走り滑降に向けて、絶好の日和にちがいない。
滝沢インターで降りたのだが、いつもの方向音痴でしばらくうろうろする。どうも網張への標識を見落としたらしい。それとも、標識などなくても行けてしまうのが普通なのか? コンビニに飛び込んで道を聞いたら、反対方向に走っていた。殴るよ、マジで(自分に向かってです)。
そんなこんなで、スキー場のリフトを降りて歩き出したのが10時半過ぎ。荷物はテント、シュラフ、火器、食糧、水、スコップを含めて11kg弱の重量に抑えた。ストイックとは無縁な性格だから、文庫本、iPODまでも忍ばせた。
2月の単独行は悲惨だった。薄い30デニール(ちなみにタイツ程度の厚さ)生地のテント。外は、風雪。今日は晴れるんじゃなかったのかーっ? 予報はどう変わったんだろう…ん? ない、ない、ラジオがない! というわけで、なすすべのない籠城の夜を体験したのだ。
数日前の雨のせいか、凍っていてラッセルがない。気温が高くなる午後には、ザラメになるだろう。後ろを振り返ると、なぜか裏岩手連峰には黒雲が渦巻いている。でも予報通りなら、あの雲もいずれ消えてくれる…。
犬倉山の北面を登り過ぎないようにトラバース、姥倉山との鞍部に出る。そこからも黒倉山の南斜面を、効率良く横断しなければならない。有根沢の源頭部で枝分かれするたくさんの小沢を、うまくかわして黒倉の鞍部に着いたのが11時40分(こういうルート取りなら得意なんだけどな)。頂上部の御鉢が、純白のお城のように輝いている。
30mほど登った肩から、いったんシールを外す。大地獄谷のカルデラに向かって短い距離を滑り降り、その後はほとんど谷の中を、シールスキーで登る。前回泊まった湿原付近を過ぎ、不動平ヘ向かって約400mの登りにかかった。
地獄谷を吹き上がってくる冷風が強く、雪質は固いまま。そして…お鉢の基部に達したころから、暴風に襲われはじめた。雪さえ飛んできた。氷をまとった鬼ヶ城の岩稜とガリガリの雪面が、寒気の強さを教えていた。こんなとき予報では「晴」となっていても、高層気象図を仔細に検討すれば明らかに冬型なはず。予報をうのみにして、うかうかやってきた自分を笑う。
14時過ぎ、固い雪にパックされたような不動平避難小屋を見つける。一夜の宿と決め、窓から入り込む。あまりの強風を恐れて、スキーも中に取り込んでいったん落ち着いた。が、待てよと考え直す。明日も氷のままだと、三度目の敗退となりかねない。勘弁して欲しい。偵察に出たあと、えぇい今日中に突破しよう、と腹をくくる。
15時半。シールを外したスキーは、追い風を受けて加速した。東面に回り込んでも風は追いかけるように吹き狂った。転倒しないよう正確なターンを心がけるが、焼走りは氷の大斜面と化し、シュプールさえつかない硬さだ。エッジが激しく振動して、足がしびれる。無理なジャンプは、スキーも金具も破壊するかもしれない。
第一噴出口から下はブッシュ帯となり、ぐさぐさの雪を滑った跡があった。そんな雪を滑れた幸運な人をうらやみながら、反面、盛り上がって凍てついたシュプール痕が煩わしかった。厳しい条件下で完走した安堵感とともに「焼走りの湯」に着いたのは、17時となっていた。
帰りの高速道は、強風のため80km規制となっていた。箱形のトラックが突然激しく蛇行して、肝を冷やすこともしばしば。タクシードライバーは花輪線が一時ストップしたと言っていたし、つくづく天気予報はあてにならない。(3月26日・単独行)
メニューにもどる
|