深野稔生の山遊び十二カ月

SlowTrek山便り
 

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Vol.30
雪が来る直前の山は明るさに満ち、
最後の光芒を放っていた。
亀割山 かめわりやま 620m(593.9m) 山形県新庄市・最上町

 

 鳴子、中山平と過ぎ、気づくこともなく日本海側に入っていた。47号線は分水嶺がめずらしく平坦で、トンネルや峠がないので風景の変化に気づきにくい。それに車の旅は便利だけれど、ときどきポイントとなるものも逃してしまう。芭蕉が泊まったという「封人の家」が、あっというまに車窓から飛んでいった。

 岩出山から鳴子を経て新庄方面を結ぶ道は、むかしは難路であった。それは県境ではなく、山形側に入った亀割山のあたりにあった。北から神室連峰の山足、南からは船形連峰や翁峠の山なみが突き出す、山間の狭い通路となっていた。

 戦国時代の「奥羽永慶軍記」には、天正15年の伊達・大崎の合戦で山形へ落ちのびた敗軍の記述が見える。

…鳴子・志登米を打ち越え、小国・瓶割の難所を過ぎ…

当時は亀割山が、他郷を隔てる壁になっていた。

 「義経記」でも「亀割山を越え給ふに、北の方御身を労り給ふ」と、奥方があまりの難行のため山中で和子を出産したようすを伝える。源義経が鞍馬山から北国落ちの際、亀割山を越えて平泉へ逃れたという説話である。

 さて今日は時間があるので、大堀駅の手前から北へ「東法田(ひがしほうでん)の大アカマツ」を見学してみる。場所がうろ覚えで、途中で子供を背負った若いお母さんに道を聞いた。町内の直角に曲がる所をまっすぐ入ったら、それらしき駐車場があった。

 そばでなにやら掘っているおじさんがいた。太くて長く黒い物体だ。「それ、なんですか?」「なんだって、ゴンボだべ」「すごーい、日本一のアカマツじゃなくて、日本一のゴンボ!」

 山神様の大松は、急な山腹を登った途中にむきむきと立っていた。株立ちで、三本の主幹のうち一本が枯れていて痛々しい。樹齢五百年はあるらしく、生きているだけで奇跡のような姿だった。

 さて、亀割バイパスのトンネルを抜けてすぐ、右の道をとり登山口をめざす。林道の途中でバスを降りて歩くと、10分ほどで登山口に着いた。

 ジグザグ道をゆっくり登ってゆく。高度を上げるにつれて、盆地に滞留していた霧の上に出たらしい。森全体に光がまわり、足もとから明るくなった。ブナの葉が黄色に輝き、モミジの赤がアクセントを添える。紅葉を「燃える」と表現するとき、なぜかブナの黄色がふさわい。

 尾根の南側を巻くように登りつめ、最後は620mピークの南西に刻まれた浅い沢窪をたどった。稜線に飛び出すと、目の前に対岸の山稜が連なって見えた。盛りは過ぎたようだが、山全体の柔らかい彩りがいい。深く落ち込んだ小国川の狭小な平地に、陸羽東線と47号線、そして瀬見温泉の建物が密集していた。西へ目を転じると寒河江葉山のそばに最上川の蛇行が光り、うっすらと霧を残す町が俯瞰された。

 頂上は二万五千図に記された「亀割山593.9m」のピークではなく、手前約620mの山形県側のコブにあった。地形図の道記号が誤って直接620m峰を通っているので、ガイドブックなども、道のない「亀割山593.9m」を頂上と誤認しているようだ。登った登山者も、ほとんどそう思い込んでいるにちがいない。

 雪を戴いた鳥海山や月山の展望のもと、ゆっくり山千家を楽しんだらお開き。絶好の日和を楽しんだ幸せな落人たちは、一列となって静かに山を下りた。北の(かた)が亀若丸を出産したとされる子安観音の奥宮を経て、その里宮のある登山口へ。伝説揺籃の山は、古道をそのままに残して私たちをもてなしてくれた。(06年11月中旬・ガイド登山)

*アクセス:仙台宮城IC〜古川IC〜47号線〜新庄登山口(1時間40分)頂上(1時 

 間20分)瀬見温泉登山口

* 2万5千図:瀬見

* アドバイス:古道のおもむきを残した道で、よけいな標識などもない。晩秋にゆっくり楽しむには、最適の山。西側の道は明るく、東面は杉の植林のせいか若干暗い。

* 帰りは舟形町の「舟形若あゆ温泉」0233-32-3655に入浴した。

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