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Vol.28
Congratulations! 中年女性パワー。初めての三千メートル峰を、彼女たちは凛乎として踏破した。
上高地から奥穂高岳(3190m)〜前穂高岳循環 長野県松本市安曇
穂高岳は我が国第三位の高山。深田久弥の「日本百名山」では「穂高の気高い岩峰群は、日本の山岳景観の最高のもの」と書く。晴れた日に河童橋から仰ぐ威容は観光客にもおなじみであり、前景に梓川を配して一幅の名画たりえる。小説や映画の題材にもなり、岳人にとって一度は登ってみたいあこがれの山である。
二十代前半、単独での槍穂縦走を思い出す。彼女に見送られ、仙台を午後に出て新宿から夜行バスに乗り、松本経由で新穂高温泉へ。そのまま歩き出して確か4時頃には槍の頂上で万歳。で、槍岳山荘をあとにして、その日は南岳小屋に宿泊。シャケ弁をもらって早朝のキレットへ下った。頬をかすめた落石に、目を覚ましたのを覚えている。北穂から奥穂、前穂、上高地へとその日のうちに駈け下った。休みがとれず、過密スケジュールだった。山の友人に話をしたら、そんな時間ではできっこない、どこかにもう一泊しているはず! と叱られてしまった。当時の山行記録はもうなく、記憶もその程度。若い頃のホラ話や武勇伝を吹聴する歳になってしもうた、ああ。
今回はガイドとしての登山である。私には、北アの一般コース程度なら軽いザックと水分調整、適切な靴と登下降の基本技術、の四つさえそろっていれば誰でも登れるという持論がある。三千メートルのピークを二つ、経験の少ない女性たちにそれが本当に通じるのか不安もあるが、内心期するものはあった。安全性と疲労軽減を考えて、歩き方と岩場での身のこなし方の講習会もした。三点支持はダメ、手でしがみつかないで登りも下りも母指球で立ちこむこと、姿勢は常に高く、の三つを徹底した。
一日目は仙台からのバス移動と、上高地から横尾山荘まで約三時間の歩行。二日目、昼用のバスケット弁当をもらって、いよいよ大展望が待つ涸沢カールへ向かう。行く手をふさぐように突き出した、屏風ノ頭の山体を大きく左に回り込んで行く。ガスが晴れ上がり、木々の間から首が痛くなるほど高く見える屏風岩が、朝日に光った。運がいいね! 私たちは好天をつかんだようだ。初めて見るでかい風景に感動しながら、ゆっくり3時間半かけて涸沢ヒュッテに着いた。
ヒュッテでは1時間の休憩をとった。テラスでコーヒーを飲み、ここで天上の眺めを味わうのも大事な作法のひとつ。カールから見上げた前穂、奥穂とそれを結ぶ吊尾根、明日登る岩稜がパノラマとなって広がっていた。対岸の涸沢小屋がポタラ宮殿のように、岩山にマッチしていた。上昇する雲間、北穂の右に見える涸沢槍は、手の切れそうな二等辺三角形を見せていた。足を使う者だけが嗜むことのできる、いい時間だった。登山というのは贅沢な遊びですね。
急な岩場の道であるザイテングラートに取り付いてから2時間弱、穂高岳山荘に到着した。三千メートル近い場所だが、みんな故障はなさそうで、ほっとする。夜に発症しがちな高山病予防のためにも、奥穂を往復しておいた。
翌日は再び1時間かけて、奥穂山頂を目指した。常念岳が雲海を突き抜けてまぶしく輝き、右手前には前穂がどこから取り付くのやら迷うほど、急峻にそびえていた。振り返ると、槍ケ岳のさんざん雑誌で見た山容、むかし通ったキレットも見えた。白馬、鹿島槍、剣の山々も雲上に浮かんでいた。そして複雑な岩稜帯の吊尾根をゆっくりとたどり、紀美子平へ。
紀美子平から前穂を往復したあとは、外傾した岩場を慎重に下って岳沢へ。雷鳥広場で雷鳥やオコジョを見られたのも、幸運だった。長い下りだったが、みんな転んだりすることなく、無事「上高地アルペンホテル」へと投宿できた。メンバーの疲れを知らぬかのようなエネルギーにも頭が下がったし、老親介護の日常をひととき捨てて、非日常へ飛び込む彼女たちの勇気に、あらためて感動させられたのだった。
翌日、早朝の上高地を散策したのち、安曇野ではクールダウンに小さな美術館「有明美術館」を楽しんで帰仙した。桃山時代といわれる黄瀬戸猪口の、失透気味の黄釉が心に残った。(06年08月下旬・ガイド登山)
*アクセス・参考コースタイム 第一日目:仙台〜上高地(バスチャーター・2時間30分)横尾山荘(泊) 第二日目:横尾山荘(2時間50分)涸沢ヒュッテ(3時間30分)穂高岳山荘(泊) 第三日目:穂高岳山荘(1時間)奥穂高岳(2時間20分)紀美子平(前穂高岳往復)(6時間)上高地アルペンホテル(泊)
*2万5千図 穂高岳・上高地
*アドバイス 本文中にあります。
注1:切戸とも。尾根筋が大きく切れ込んだ鞍部のこと。注2:氷河の跡を示す椀状の圏谷 注3:岩稜側面の支稜。穂高に固有名詞化している。
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