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Vol.20
風の冷たい頂上だった。吾妻や安達太良連峰が、雄大積雲の下にわだかまっていた。
福島県田村市船引町・移ケ岳うつしがだけ994.5m
今年の冬は、思いもかけぬ厳冬である。連日北極圏からの寒気が強く、日本海を中心とした各地に記録的な大雪をもたらした。雪による死者も百人を超え、孤立状態となった村も多かった。
そんな時にわざわざ山へ登らなくても、と非難されそうだ。が、移ケ岳は雪のある時期でなければ、登る気のしない山かもしれない。古くからの石切り山で、林道が深く入り込んでいる。またの名を「美しが岳」などと言うらしいが、中に入ってみれば傷だらけの感じがしないでもない。傷跡が雪に隠れるこの時期は、最適というわけだ。
ちなみに「うつ」とは、せまい谷や崖を言う古語。宇津野や葡萄などの地名も同類で、御影石の崖をもった移ケ岳もそんなところに由来があると見た。
東北自動車道を南下、郡山JCTから磐越道へと分かれると、とたんに雪の気配がなくなる。所どころ日陰の部分が凍っていたりするのは、さすが寒暖の差が激しい阿武隈高地の特徴だ。
船引町の中心街を過ぎ、まずは美山小学校を目指す。田園風景の中、学校への角を左折すると、さっそく移ケ岳が見えて来た。が、見たところ雪がない!「え!?」とばかり、晩秋へでもタイムスリップした感じを味わう。
林道の両側にはしかし、凍った雪が残っていた。ヒヤヒヤしながらの通行となり、運転手さんは「これ以上雪が多かったら、バスでは入れないでしょう」と言っていた。
瑞宝平という駐車場は西側一帯が開けていて、市街地を超えてきた山風がとても冷たい。脊梁山脈で雪を落として、冷却された風だけが渡ってくるのだろう。目を凝らすと、雪雲でけむった山脈のなかに磐梯山らしき山容があった。
はじめは、雪のない古い林道状を登る。右にはずれた杉林のなかに、移ケ岳神社が鎮座していた。由緒を記した説明板には「坂上田村麻呂云々…」と、よくある由来。坂上田村麻呂は、地方の地主神を東征した張本人なのだが…なぜかその地方で崇められる神に治まっている。
少しずつ雪が増えてくる。先日の大雨のせいか、カチカチに凍っている。一五〇メートルほど登ると、右前方に黒々とした岩壁が見えてきた。「えーっ! 頂上はあの上?」「大丈夫かしら…」「別にあの岩を登るわけでないから」
頂上直下の五〇メートルが一段と急になった。「滑らないよう、注意してー」「ロープにぶら下がったらダメだよ」「爪先でちゃんと立ちこんで」お互い言葉を交わしながら登って行く。
ぽっかりと、頂上に飛び出す。視界を遮るもののない、三六〇度の展望だ。ひときわ目立つのは、東側の鎌倉山。鋭いピークが天を指して、小さいながらその存在を誇示している。その向こう、明るい空の下には、海までつづく穏やかな山並みが広がっていた。西側に目をやると、脊梁山脈は冬型の荒れ模様らしく、灰色の雲の下にかろうじて吾妻小富士が指呼できた。
風が非常に冷たく、長居はしたくない。どこか日だまりでも見つけよう、ということで北側の下山路をとった。下りも日の当たらない急な道で、凍っていた。注意深く南側の尾根にまわり込み、九二〇のコンターラインが緩くなったところで大休憩。雪の上の日だまりで三々五々、少し遅い昼食をとった。
下山後は、図書館の一角に展示された「竹久夢二ルーム」や、船引町に伝わる身の丈四mに及ぶ魔除けの人形見学など、寄り道して帰途についた。山麓の文化に触れることができ、思いがけない収穫となった。(06年1月中旬・ガイド登山)
アクセス:仙台宮城IC〜船引三春IC〜288号線〜349号線〜119号線〜館入口
*参考コースタイム:瑞宝平駐車場(約1時間10分)頂上(約1時間)瑞宝平駐車場(無雪期のコースタイムはこの限りではありません。)
* 2万5千図:船引・常葉
* 船引沼田にある「花の湯」(0120-82-8726・500円)に入浴した。「死海風呂」も試してみたが、体が浮いて気持ちが悪かった。
美山:みやま 船引:ふねひき
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