メニューにもどる
Vol.19
シャンボチェの丘を、ゆっくりめざす。
登るにしたがい、アマダブラムの尖塔が姿を現した。
ネパール エベレスト街道トレッキング
リリーこと佐野優子(一番町の「すあらばぐーす」オーナー)は古い山仲間で、年に3、4回は店の買い付けでネパールに飛ぶ。その彼女と組むプライベート・トレッキングだから、安心で楽しくないはずがない。並みのツアーとは、ひと味違うものがある。
参加者もまた、大変元気でテンションの高い女性たちだ。こちらが終始リードされっぱなしで、ガイドとしての面目などこれっぽっちもなかった。
バンコクのホテルでゆっくり朝食をとり、さて誰もまだ降りてこないなと心配していたら、彼女たちはすでにロビーで足踏み状態! 以後、万事この調子なのだった。
ツイン・オッターは約二十人乗りの小さな飛行機、それでもちゃんと綺麗なスチュワーデスはいた。ネパール国内線の素朴な滑走路を軽快に離陸して、空路ルクラへ。
いくつもの山を真上から超える。流れる雲の下、棚地が等高線のようにてっぺんまで広がり、どこまでも人が住む。早くもエベレストを指呼する声があがる。世界の屋根はあっさりと、我々の視界に入っていた。
30分も飛んだか、谷間にさしかかると機は大きく旋回、登り斜面の滑走路に突入した。15年ほど前にリリーと来たときと違い、滑走路はきれいに舗装されていた。
ルクラはすでに2800mを超えた高地。ここからはゆっくりとした動作が大事である。コンデ・リの巨大な岩山を眺めながら、まずはロッジでミルクティーを楽しむ。大きい荷物はポーターに預けてから、今日の宿泊地パクディン村へ。みんなの体調も、どうやら万全のようだ。
砂埃の道を、ビスタリビスタリ行く。エベレストから流れてくるドゥドコシを何度か吊り橋で渡る。どこも太いワイヤーでできていて、隔世の感がある。村の出入り口には必ずといっていいほど、大きなマニ石があって印象的だ。
谷の奥に、タムセルクがものすごい仰角で見え出した。みんなの口からは「凄い、凄い!」の感嘆符ばかり…。ヒマラヤ襞が青空にギリギリと輝き、「やっぱり来て見ないとねぇ」というため息ともつかない言葉に、はじめて旅の現実味を感じたものだ(パグディンのロッジでシュラフ泊)。
ナムチェ村へ向かう道すがら、何度かゾッキョの隊商とすれ違う。大きく湾曲した鋭い角は恐ろしく、通り過ぎるまでじっと山側に身をひそめるしかない。でも、カウベルや前掛けできれいに飾られて大事にされており、なかなか素敵だ。イムジャ・コーラの大峡谷を、高い吊り橋でわたって行けばいよいよ村は近い。
標高3440m、クーンブ地方の交易の中心地、ナムチェ・バザール。シェルパ族の村としても有名で、土曜日のハートには、チベット人などが何日もかけてやってくる。山好きな人にとって、一度は来てみたい憧れの地だ。ロッジへ登る途中には、狭い道両側にみやげ物店が押し寄せるように並んでいた(ナムチェのロッジでシュラフ泊)。
今日は「エベレスト・ビューホテル」までの散策。まだ日影に沈む村をあとに、ゆっくりシャンボチェの丘を登る。登るにつれ、陽を浴びていないカンテガの北に、アマダブラムの光る尖塔が現れた。あとはエベレスト・ビューホテルまで、ヒマラヤの巨峰の大サービス! そしてホテルのテラスでは、ティーサービスを受けながらの展望に、みんな大満足の態だった。エベレストやローツェの上空には絹雲が出てきて、ジェット気流の強くなってきたことをうかがわせた。
帰りはクムジュン村をまわり、ヒラリー卿が中心となってつくられた学校や、クンビラ峰を祀る寺院に秘蔵された、イエティの頭皮などをゆっくり見て回った。
カトマンズでは念願のアンティックdze(ジー)を手に入れることができたし、今回も旅を支えてくれたラジクマール、ブッペンドラ、シャミー、ラジュそしてポーター諸君には、我らがファミリーとして大いに感謝の意を表したのであった。(05年11月下旬〜12月初旬)
ビスタリ…ゆっくり ドウドコシ…氷河からの細かい石粒を溶かしこんで白いので、ミルクの河と呼ばれる マニ石…経文を刻んだ石 ゾッキョ…牛の一種 ハート…定期市 イエティ…ヒマラヤの雪男 襞=ひだ(ルビ)
*ナムチェでは、平地の気圧に比べて3分の2、酸素は2分の1ほど。体調を崩すと、頭痛や吐き気、息切れ、食欲不振、全身のだるさなど二日酔いに似た症状を起こす。
俗に言う「山酔い」の状態になる。(アセタゾラミドという薬を用意したい。)
*今回は大きく体調を崩す人がいなかった。水分を十二分に摂取する、お腹に注意してとくに現地食を食べ過ぎない、ゆっくり行動する、マスクなどで鼻や喉を保護する、深呼吸を時々意識して行う、睡眠を充分に摂る、などに気を使うことが大切。
メニューにもどる
|